全ての死にたい人に捧ぐブログ

生きるに値する“何か”とは何か

第6話:誠実・良心・罪悪感 という鎧(よろい)

誠実であることや、良心を持つことや、

罪悪感を感じること

 

どれも今では単なる美徳と片付けられたり、

「いい人だね」「損するよ」とくくられやすいものですが、

実は違うのではないか?と思います。

 

誠実、良心、罪悪感は、「美徳」などではなく、

『我が身を守る鎧』なのではないか?ということです。

『自分はそこまでは間違えてはいない』という。

 

何が正しいかは自分1人で決められなくても、

自分が誠実だったかどうかは、自分自身が一番知っている。

 

という言葉もありますが、その通りだと思います。

(ただ、これは良心を残している人に限りますが)

 

罪悪感は、強すぎると洗脳されてしまう人もいますが、

X Japanのトシさんのように)

罪悪感は、自分自身を浄化してくれる機能も持った、、、

「自分を嫌になり切らない」ために、

通らなくてはならない通通点なのかと思います。

(悔い改めれば救われる、とはそういうこと?)

通れば、いつかは立ち上がる余力を残してくれます。

感じている間は、本当に苦々しのですが。

 

間違い、過ち、ミス、罪、

多くの人が目をそらし、その場しのぎをしてしまいますが、

それは人間がどんどん弱くなっていく

つまり鎧や武器を捨てる行為なんだと思います。

 

誠実、良心、罪悪感は、「美徳」などではなく、

「自分はそこまでは間違えてはいない」という

『我が身を守る鎧』なんだと思います。

 

(他人に利用されるだけで終わったり、

 自分は悪くないということに固執したり、

 手を汚さなくてはならない時のことなどは

 また別の回に書きます。まずは軸です)

 

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