全ての死にたい人に捧ぐブログ

生きるに値する“何か”とは何か

第10話:生きていく強さ(ハート強と卑怯は反比例)

子供が大好きです。

苦手な人もいると思いますが

子供からの被害が苦痛にならない自分は、ラッキーでした。

他人の子供でも、明日から我が子として引き取りたいほど。

 

しかし、現代は子供のことを考え過ぎて

子供が傷つかないような環境ばかりが用意された

実は子供に良くない社会となってしまいました。

 

ハートや覚悟は、筋肉に似ていて

傷ついてそれでも「自分を見失わない」を繰り返さない

ハートが強くなることも、覚悟を持てることもありません

 

今の社会はハートを鍛える場が

どんどんなくなっていってしまっています。

 

それは大人が弱いからです。

 

子供のためを思って、

子供が(本当は自分が)傷つかないようにした結果、

大人になった子供は、何の武器も装備もなく

社会という荒野に放り出されます

 

そこで大人になった子供は、我が身を守るために、

卑怯になったり、姑息になったり、卑屈になったり、

人の痛みが分からない、考えたくもない、

自分が安全ならばそれでいい、

となってしまいがちます。

自意識という壁を肥大化させ、

誰も見てないのにナルシストとなって

自分を守らざるを得なくなります。

 

ヤンキー先生・義家さんの本に

教育とは生きる力を身につけさせることだ。

 生きる力とは、転んでも立ち上がる力のこと。

 だから子供に必要なのは

 転ばぬ先の杖を与えることではなく

 転ばせることだ

 (起き上がった時に抱きしめる)

 

目からウロコでした。

自分が魚類になったかと思うほどの衝撃。

 

転んだときこそ、失敗したときこそ、辛いときこそ

我々はチャンスなのです。

強くなるチャンス

昨日の自分より

今日の自分を好きになれるチャンス

 

一緒に悩んで、一緒に乗り越えましょう

(11話につづく)