全ての死にたい人に捧ぐブログ

生きるに値する“何か”とは何か

第9話:昨日の自分より、今日の自分を好きになれるか(後編)

健全な自分愛と、不健全なエゴイズムは、

似た姿をしながら、実は180度違う。

 

前者は、

自己を生かす、創造の活力源となる、健全な自分愛

後者は、

破壊と病理をもたらす、歪められた未熟なエゴイズムです。

 

フィギュアスケートの羽生くんは、

ときにナルシストに見えてしまいますが、

あの多大なプレッシャーに打ち克つために、

自己を生かす、創造の活力源となる、

健全な自分愛・ナルチシズムを持っている

素晴らしいアスリートだと拝見いたします。

 

反して、言い訳、我がまま、責任転嫁、自己中な人は、

破壊と病理をもたらす、歪められた未熟な自分愛です。

 

「自分さえ良ければ」には快楽も伴いますが、

実は自分に打ち克って、プレッシャーに打ち克って、

昨日の自分より、今日の自分を好きになる

 

その快楽の方が

「自分さえ良ければ」という快楽よりも

本当は遥かに気持ちいいのです。

 

そのためにも、神様?仏様?は

常に人間に苦しい試練を与えます

 

何度負けても、何度くじけてもいいのです。

引きこもっても、一度は腐ってもいいのです。

再び立ち上がることにこそ

人生最大の意味があるのですから。