全ての死にたい人に捧ぐブログ

生きるに値する“何か”とは何か

第12話:創造のポテンシティ(潜在力)

大学時代、自主映画に取り組んでいました。

そのほとんどが完成せず、失敗に終わりましたが

青春時代のいい想い出になっています。

 

その「創る」という過程で学んだこと

それを端的に表してくれた文章と大学時代に出会えました。

誰の言葉か分かりませんが

自分の走り書きノートの、いたるところに出現します。

(難しかったらごめんなさい)

 

 

『創造のポテンシティ(潜在力)』

 

人間は人間であり、物体ではなく

もし生を創造できないのであれば

破壊せずにはいられないから

破壊的で加虐的な「激情」の可能性

持つのかもしれません。

 

それにはどう対抗すればいいのでしょうか。

 

人間に内在する創造のポテンシティ(潜在力)

つまり人間的な力を

生産的に利用しうる能力を発揮させることです。

やはり人間は無力でなくなってはじめて

破壊者やサディストでなくなり、

生に興味を持つのかもしれません。

 

自分は無能だと意識・無意識で思ってる人、

かつそれを認めたくない人や

いつもしらけてる不具者は

自尊心が傷つけられたり砕かれたりすると、

その回復の手段として頼れるものは1つ、

つまり「眼には眼を」という例えのように

復讐することだけです。

 

一方、生産的に生きている人には、

そういう必要がありません。

たとえ傷つけられ、侮辱され、損害を与えられても

生産的に生きる過程そのものが

過去の傷を忘れさせるからです

生み出す喜びというのは

復讐の欲求よりも強いことがわかる

 

 

このことを、大学時代の自主映画で、一番学びました。

 

人間には

消費より生産の方が、実は快楽が強い、

という本能がセットされている気がします。

(学園祭の準備の楽しさとか)

 

人が本来持つ高い能力を引き出してくれるもの

より豊かにしてくれるもの。

そんなアート作品やエンターテイメント作品に

今、取り組んでいます(超ムズですが笑)。